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「価格のゆがみで儲ける」YEN蔵 特別インタビュー(前編)

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▼目次
1.渋谷で育った青春時代
2.1ドル360円の時代
3.就職活動 金融の世界へ

渋谷で育った青春時代

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PickUp編集部:
今日はよろしくお願いします。YEN蔵さんって、東京の渋谷育ちと聞きましたけど、おしゃれな街でうらやましいですね。
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YEN蔵:
いやいや、僕は渋谷育ちってことでよくうらやましがられるけど、僕が子供だった数十年ぐらい前って、全然今みたいに栄えてはいなかったです。1970年代から80年ぐらいにファッションの街になっていったところがあって、そこから変わったのかなという感じはしますよ。
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PickUp編集部:
多感な時期を過ごされたときの渋谷でって、どんな感じだったんですか?
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YEN蔵:
僕らが子供の頃ってまだ外国人しか住めないような場所があったんですよ。NHKの大河ドラマで代々木のワシントンハイツを返還してもらうって話をやっていましたが、あそこはアメリカ軍の方が住んでいた。そこに僕ら子供がちょっと潜り込むと、すごい芝生がひろがり、一軒一軒の家がすごく大きくありました。1960年代ってまだ日本は貧しかった。僕の家も当然金持ちじゃないから貧乏だったので、アメリカ人の家を見て、すごいなと思いました。
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PickUp編集部:
自宅の徒歩圏内に、日本と全然違う「外国」があったということですかね。
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YEN蔵:
まあそうですね。そこで外国への憧れじゃないですけども、こういう世界もあるんだなってことを若い時代に垣間見ました。

1ドル360円の時代

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YEN蔵:
為替の話をすると、子供の頃は1ドルが360円だったんですよ。だから、海外の物を輸入するとか、海外旅行をするのって、とてつもない大金持ちしかできなくて。為替が自由化するまでは、海外に持ち出せるお金の制限って1度に500ドルまでだった。あの頃だったら十何万円ですけど、今のレートだったら5万円ぐらいですよね。そのぐらいしか外貨を持ち出せないから、闇ドルとか言って、1ドル400円とか450円で買っていたって話は聞いたことがあります。
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PickUp編集部:
外貨が規制されていた時代のお話ですね。
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YEN蔵:
そう。僕がスキーやっていた時にROSSIGNOLっていう、フランスのメーカーのスキー板で有名なのがあって、価格が10万円ぐらいだったんですよ。1970年ぐらいの10万円って、恐らく今の30万円とか40万円なんじゃないかな。スキーっていまだに6万円から8万円なんで。定価自体は変わってないんだけど、金銭価値が全然違うじゃないですか。
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PickUp編集部:
はい。すごく高額に見えますね。
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YEN蔵:
それを思い出すと、外国の物ってすごく高かったんだなっていう感覚です。そういう意味では外国は常に憧れだった。成長して僕らが大学生になるとPOPEYEって言うマガジンハウスの雑誌が流行りました。あれはどちらかと言うと西海岸の話なんですけど、アメリカ大好きみたいなそういう雑誌だったんです。だから、僕らの時代って戦争の時代を知らないわけでアメリカに対する敵対心って無くて、アメリカの物っていいなみたいな感じです。 新しい物好きだったんで、アメリカの物に接する機会も多めでした。やっぱり音楽のレコードなんかはやっぱり洋楽の物ってなかなか売ってなくて。売っていても洋楽は高かった。だからレコードを仕入れる仕事を始めた人たちは儲かりましたよね。
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PickUp編集部:
海外のものと日本での価格差があったんですね。
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YEN蔵:
海外の物を手に入れるのって難かったので、手に入れた人たちがうまくいった時代ですよね。外車のディーラーとか羽振りがよかった。この辺は今でもあまり変わっていないかな。アメリカで3,000円で売ってる物、例えば投資に役立つデータみたいのが、日本語訳つけると10,000円で売られたりしてるとかってあるじゃないですか。
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PickUp編集部:
そうかもしれません。
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YEN蔵:
そういうやっぱり価格差を利用してた人たちって今以上にいたと思うんですよね。
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PickUp編集部:
外国の物と日本とで価格差が生まれる理由に外国為替があるんだなっていうのは、ぼんやりと感じていたんですか。
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YEN蔵:
まあ、そうですよね。海外旅行とかめちゃくちゃ高かったですよね。だから、キャビンアテンダントは花形の職種になれた。いまや3万円で海外旅行行ける時代ですが、昔は国境をまたぐ仕事をしていた人たちが潤うっていうのは、やっぱりまだまだ日本が先進国じゃなかったっていう事ですよね。いまの中国だってそうだと思うんです。英語が話せることでいい職就いている。為替の1ドル360円って、ポンド円とか1000円とかだったんですよ。だって1ドル360円で2ポンドだったら720円だから。為替が円安だったってこともある。 余談なんですけど、何で日本円が360円になったかって知ってますか?
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PickUp編集部:
いえ、知らないです。
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YEN蔵:
あの頃、1ドルいくらにしてももうよかったんですよ。”えん(円)”ってサークルだから360度だろっていう説もあるんですよね。
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PickUp編集部:
それが本当なら、安易ですねえ。
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YEN蔵:
真偽はわからないですけど、レートは何でも良かったようです。ただ、あまり円高にすると日本が工業国として戦後の復興で立ち直れないから、ソ連をけん制するアメリカのGHQとしては日本を「反共の防波堤」にしようっていうふうに政策転換をしたので、あまり日本を円高にしない政策に転換したんですね。つまり工業を立ち直らせるためにあまり円高にしなかったみたいです。 だから、やっぱり外国為替に目をつけたビジネスマンは、国境をまたいだり情報の遮断があることで、価格がゆがみ、そこでうまくゆがみを利用した人っていうのは儲かる。ただそのゆがみは、いずれ情報の伝達によって解消されて適正値を探りにいって、結局適正値になる。適正値を探るのがマーケットの機能ですね。 いまは昔より情報の伝達は早くなったのでゆがみの瞬間が昔より短いです。値段がAmazonのマーケットプレイスとかって中古が出てくるってそういうことじゃないですか。もとい、若いころにマーケットのゆがみってなんだろうなっていうのは覚えた感覚はあります。
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PickUp編集部:
輸入レコードは高いから、これ売れば儲かるなっていうところや、ドルと円の差があるというようなことについて、ある程度理屈のところまで学生時代に到達されてたんですか?
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YEN蔵:
そうですね。為替のこともありますし、あとは本来アメリカでいくらで売られてるかっていう情報がこちらに到達してなかったら、10ドルのものを3,600円じゃなくて10,000円とか20,000円で売ってたと思うんですよ。だから、本来のその情報を知らないとマーケットで負けるんだなっていうのはそこで分かりますよね。

就職活動 金融の世界へ

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PickUp編集部:
そんな、外貨の影響力を感じた学生時代から、就職をされますが、どの業界を目指していたんですか?
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YEN蔵:
僕、本読むの好きなんで出版とか新聞とか受けたんですよ。実は。全部落ちましたけども。
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PickUp編集部:
業種がだいぶ体育会系になっちゃいましたね。
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YEN蔵:
当時、金融の自由化によって金融機関で特にマーケット部門の人材がすごく不足してたんです。だから僕はたまたま運よく入れたっていうそれだけの話なんです。
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PickUp編集部:
いえいえ、ご謙遜なさらず。初めに仕事をされたブローカーがそうだったんですね。
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YEN蔵:
金融機関が外国為替業務の仕事をしていることを知っている学生って、今もそうかもしれませんが、いなかったと思うんですよ。だから、就職活動のときにいち早くその情報を仕入れられたのはよかったかなという感じです。銀行というと、預金を集めて融資する、みたいなイメージじゃないですか。そこで為替のトレードをやっていることは誰も知らなかった。新しくできた職種で、人も足りなかったっていう環境もあり、僕が「これ面白そうだ」と思ったというのもブローカーに入ったご縁だと思います。
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PickUp編集部:
具体的にどのような分野だったのでしょうか?
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YEN蔵:
日銀や銀行間の資金や為替の仲介をする会社ですね。あんまり就職先を選ぶ選択肢も無かったりするんで。
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PickUp編集部:
ブローカーのお仕事は、イメージしたものと同じでしたか?
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YEN蔵:
最初は、全然イメージできなくて。
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PickUp編集部:
そうですよね。
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YEN蔵:
新しくできた業種だし面白いなって思いましたね。外国企業と合弁企業だったので、半分外資という意味で自由だし、面白い業種と面白い会社ではありましたよね。やっぱりインターネットの勃興時と一緒で。業界のすごいベテラン経験者っていうのがあまりいないから。2年目でもうシニア(ベテラン)みたいになっちゃうぐらいの感じでした。
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PickUp編集部:
ちなみに個人に任される仕事の裁量って大きかったんですか?
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YEN蔵:
自由です。ちょうど1985年の円高不況からバブル経済に向かっていて、日本全体も金融業もすごく景気が良かったんです。バブルだし、ブローカーは人がいないし、儲かっているし、何でもありの時代でした。
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PickUp編集部:
なみにご就職されたのは何年なんですか?
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YEN蔵:
80年代前半で円高不況、ちょうど円高、バブル、プラザ合意がくる前夜ですね。
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PickUp編集部:
そのころ為替の自由化があったと思いますが。
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YEN蔵:
80年に、それまで基本は貿易などの為替以外はダメだったんですが、実需原則の撤廃によってトレードOKみたいになったんですね。ブローカーは、ロンドンは昔からはあったわけなんですけど、新たに東京、香港、シンガポール、ニューヨークに出来て、それを電話で繋いで、人間が為替マーケットを作っていました。ブローカーっていうのは場立ちと同じなので、それぞれにマーケットが立っていたっていう感じですよ。
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PickUp編集部:
ブローカーって、儲かるんですよね?
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YEN蔵:
ブローカーは、その昔は金融機関からもらえる手数料が高かったので儲かったらしいです。僕の上の世代の人たちとか、ボーナス貰うとお札が立ったらしいですよ。壱万円札が。
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PickUp編集部:
・・・すごい時代ですね。
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YEN蔵:
そう。僕はお酒を飲まないから嫌なんですけど、お酒飲む人たちは銀行さん接待するので毎晩飲みに行ってました。多分、自分の金を使ったことないんじゃないですか。そういう時代がもう10年ぐらい続いたんです。しかも、その頃はインターナショナルブローキング(IB)っていって東京と海外との取引が禁じられた時は、15時半にはトレードが終わっちゃうんで、皆15時半になったら遊びに行ってたっていう話です。IBが開放して、香港とかシンガポールとかニューヨークとかロンドンとかと電話でやりあって、円卓が舞台でしたね。
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PickUp編集部:
円卓と言いますと?というか電話でどうやって為替のやり取りをするんですか?
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YEN蔵:
15人から20人ぐらいおやじがワーワー大きな声でレートを言い合っている感じです。。例えばシンガポールの提携してる、世界中に何社かブローカーがあって、海外のブローカーが皆提携するわけですね。東京は、東京短資はタレットって会社、上田ハーローは上田とハーロー。マーシャルは、外資が強いロンドンが東京に現地オフィスを作っちゃった。日短はAP(Astley&Pearce)って会社と提携して、それぞれ海外のブローカーと提携してレートをやりあった。東京で邦銀が輸出の売りを出したらシンガポールが買い、みたいなのを、電話でやっていたんです。都市間を繋いで喋るのをリンクマンっていって、ここはネイティブイングリッシュスピーカーじゃないとダメなんです。それで、海外から東京にリンクマン候補っていうのが送られてきていました。いいやつもいるんですけど、ロンドンからはパッとしない感じの人がちょっと極東行ってこいって言って行かされて、広尾とか六本木の、家賃100万円ぐらいのところに住んでいました。5LDKでトイレ3つとかで、尋ねていくとパーティー三昧。もうめちゃくちゃでしたね。
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PickUp編集部:
儲かっているので、ロンドンからの赴任組は、遊びたくなっちゃったんでしょうか。
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YEN蔵:
こういう言い方はすごく失礼なんですけど、やっぱりロンドンってすごい階級社会なんです。為替のブローカーってやっぱり東京だと皆さん大学を出ているんだけど、ロンドンだと大学を出てない人も多いんです。銀行のディーラーも、マネージメントは当然大学出だし、金利とかやっている人たちはオックスフォード、ケンブリッジとかそういうところ卒なんですけど。下々のスポットディーラーは大卒ではないというのが僕の時代にはすごく多かった。
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PickUp編集部:
そうなんですか。
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YEN蔵:
ええ。あの頃はイギリスは3分の1ぐらいしか大学行かなかったんじゃないかな。
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PickUp編集部:
そうですね、そもそも誰もが大学に進むことが無かった時代なんですね。
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YEN蔵:
だからやっぱり、二十歳そこそこの若造が東京に来てお金を自由に使えたら、そりゃあ狂うよなって感じですよね。
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PickUp編集部:
その辺をご覧になって、正直うらやましいなって思ったりしたんじゃないですか。
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YEN蔵:
まあ、いいな~とは思ったけど、同時に「ここにいちゃダメだ」ってすごく思いましたね。ブローカーのままではダメだって。やっぱり銀行と繋ぐだけだから、そこに自分の意思ってあんまりないじゃないですか。やっぱり、オーダー出す方になりたいと考えました。銀行に移りたいという事で、探していました。
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PickUp編集部:
そのあとシティバンクに入られるんですよね。ちょっと脱線するんですが、ブローカーって、同僚に外国人がいると英語を使う機会も多いのでは?
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YEN蔵:
まあ英語ができないとダメなんでそうですね。英語はあの時から喋れるようになりましたね。 僕、大学で結構英語やったんですがそういうので通用しないんですよね。
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PickUp編集部:
え、英語に力を入れている大学卒と聞いていましたけど、本場は違うんですか。
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YEN蔵:
みな怒鳴り合ったりするので、ネイティブの方でも「フィフティーファイブ」と「シックスティーファイブ」って聞き間違えるんです。だから「ファイファイ」とか「シックスファイブ」とか「シックスハーフオブトゥエルブ」とか言い換えていました。電話ではネイティブでもそういう確認はしていました。確認しないと、絶対間違えるから。これ余談なんですけど、コックニーっていう英語がありまして。労働者階級の英語なんですけど。エイトとか言わないでアイトって言ったり、メイトって友達のことをマイトって言ったり。
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PickUp編集部:
ちょっと違いますね。
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YEN蔵:
「ハローマイト」とかってやるんですけど。僕がそういうのをちょっと冗談で真似していたらマネージメントの方がちょこちょこって来て「YEN蔵、それはね、公の場で使っちゃいけない英語だよ」みたいなことをチクッと言われる。
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PickUp編集部:
そうなんですね。
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YEN蔵:
そういう人たちは特有の英語を使うんですけど、そうじゃない人たちってまた別の英語を使うんですよ。僕はそこまで深くは分かんないですけど。イギリスってそういうのがすごく厳然としてある世界でしたね。今はもうだいぶ違ってきていると思うんですけど、1980年代の雰囲気は違いました。別に差別でも何でもなくやっぱりちょっとそこには階級の違いかなみたいな感じでした。
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PickUp編集部:
皆、等しく仲良しじゃないんですね。
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YEN蔵:
ええ。もともとロンドンって小さいインベストメントバンクがいっぱいあって、金持ち同士のネットワークで、どこかの債権を引き受けたらそれで手数料が発生するみたいな、そういう古き良き時代から始まっているんです。ロンドンはロイズっていう保険会社の発祥の地じゃないですか。そのロイズっていうのは、船舶保険から始まったんですけど。イギリスって海賊だった時代があるじゃないですか。だから略奪品を持ってくる時の、航海に保険かける、その保険の引き受け手をロンドンの一角の喫茶店で金持ちがお茶飲みながら決めていた。それがロイズ保険の発祥だって言われているんです。 金融街としての発展の中で、それまでは古き良き金持ち同士のネットワークだけで引き受けとかやっていたものが、マーケットっていうものが出来たことによって、労働者階級の人もいけるようになった。さらに金利の自由化、手数料の自由化で1970年代後半ぐらいから金持ちだけのネットワークのビジネスは全部淘汰されちゃいました。しばらく2000年代前半ぐらいまではマーケットで儲かる時代がありましたが、それが行き着いてリーマンショックで全部ダメになって、もうマーケットじゃ儲からない時代になったというのが最近ですね。
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PickUp編集部:
歴史のもとに金融業界ってあるんだなあってわかります。
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YEN蔵:
1980年代からリーマンショックまでは、マーケットが儲かった時代。その前はマーケットってあんまりなかった時代。さてじゃあこれから20年はどうなりますかって考えると、やはり個人の時代かもしれませんよね。だって、リーマンショックで、ドットフランク法が成立して金融機関はリスク取ってトレードしちゃダメになったじゃないですか。投資銀行がトレードしなくなったから相場が動かなくなったり、マーケットが薄くなりました。  僕はリーマンショックまでしか金融業界にいなかったけど、そこまではいい時代だったですよね。もっと言うと人間が活躍できたのは1995年のやや後半ぐらいまで。それ以降は機械が台頭して、ブローカーさんがもう全部いなくなって人間のトレーダーもなかなか厳しい時代が来始めましたよね。
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PickUp編集部:
ブローカーから外資系のシティバンクへ移られましたが、そのころのお話をお願いします。

PickUP編集部より

木曜日の外為マーケットビューでおなじみ、YEN蔵さんにインタビュー。
前編では幼少期からシティバンクへ移るまでのお話をお聞きしました。中編では巨大なインターバンク市場での活躍についてお話しいただきます。

YEN蔵
株式会社ADVANCE代表取締役 米系のシティバンク、英系のスタンダード・チャータード銀行で、20年以上にわたり、為替ディーラーとして活躍。現在は投資情報配信を主業務とする株式会社ADVANCE代表取締役。ドル、ユーロなどメジャー通貨のみならず、アジア通貨をはじめとするエマージング通貨でのディーリングについても造詣が深い。また、海外のトレーダー、ファンド関係者との親交も深い。ブログ「YEN蔵のFX投資術」、メルマガ「YEN蔵の市場便り」で個人投資家に対して為替に関する情報を発信しており、人気を博している。