「プロテニスプレーヤーの夢から、プロトレーダーへ」戸田裕大氏 FX特別インタビュー(前編)

プロトレーダーへの道

以下の取材記事はトレーダー個人の経験やお考えに基づくものです。その内容について当社が保証するものではありません。実際のお取引については充分内容をご理解の上ご自身の判断にてお取り組みください。

日本のメガバンクで為替のプロディーラーとして活躍され、その後は独立し香港でコンサルティング会社を運営されている戸田裕大さんにインタビューを行いました。マネ育チャンネルには、毎週香港レポートを掲載いただいています。長時間にわたるインタビューとなり、前編では学生時代に取り組んだテニスの話を中心に掲載します。

▼目次

1.プロテニスプレーヤーの夢から、プロトレーダーへ
2.為替マーケットとの出会い
3.中国への道

プロテニスプレーヤーの夢から、プロトレーダーへ

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編集部:
本日はよろしくお願いいたします。
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戸田:
戸田です。よろしくお願いします。
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編集部:
まずは学生時代のお話をお伺いしたいのですが。8歳からテニスをされていたとのことで。
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戸田:
そうですね、10歳くらいからはテニス中心の生活をしていましたね。出身は東京で中学も区立の学校へ通っていましたが、静岡県の日本大学三島高校というのがありまして、一学年800人、25クラスのマンモス校に入学しました。
有名なスポーツ校で、水泳の岩崎恭子さんの出身校、また陸上の室伏広治さんやサッカー元日本代表高原さんのお父さんが先生をしていたりしました。
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編集部:
本当にスポーツのために親元を離れたんですね。
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戸田:
そうなんですよ。
当時英語はあまり得意ではなかったんですけど、周りのスポーツ推薦の方と相対評価なので成績表はよかったです(笑)
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編集部:
なるほど(笑)
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戸田:
プロテニスプレーヤーを目指して毎日練習していました。
テニス部は寮生活だったんですけど、四畳半のクーラーなしの部屋でした。
週一回の休みの日以外は毎日練習していましたね。
16時くらいまで授業で、17時から20時で練習して、そのあとちょっとトレーニングして帰るっていうのが平日。土日は一日中練習してましたね。
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編集部:
高校には、全国から選手が入学してくるのですか?
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戸田:
部員が120人くらいいて、そのうち5~6人くらいがいわゆる他県組でした。
ただ他県組のほうが経験などアドバンテージがありまして、静岡県内組と切磋琢磨していましたね。
その時の私の成績は、団体戦では全国優勝を2回して、シングルスではベスト16、ダブルスではベスト8でした。
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編集部:
全国大会!!すごい・・・
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戸田:
本当にテニスしかしていなかったですから(笑)
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編集部:
才能の開花まで、時間はかかったんですか?
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戸田:
普通の大会で、10歳以下の組では5回連続1回戦負け。中学でやっと全国大会出場できて、高校ではもう一段階あがったかなって感じです。
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編集部:
はじめは成果をあげるため、苦労されたんですね。
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戸田:
最初下手くそなのは当たり前です。ただ自分と向き合って努力していくと、次第に上手くなっていくんですよね。
テニスは10年やると一人前だって言われているスポーツなんですけど、成果が上がっていく中で、地道にでも続ける大切さを実感しました。これは今にも活きていますね。
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編集部:
現在のマーケットアナリストにもお話をつなげていただき、ありがとうございます。
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戸田:
高校を卒業してスポーツ推薦で中央大学に入学しました。
当然、テニス部に入ったんですけど、当時の中央大学テニス部は、プロを養成するというよりかは社会人になる前の通過儀礼のような色合いが強かったんですね。
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編集部:
高校の練習環境から、だいぶ変わりましたね・・・。
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戸田:
プロテニスプレーヤーを目指してずっとやってきたので、ここの部活で4年間やりきるということは「プロを目指さない」ということでもあるなとは思っていました。
そんな中、両親に相談をして3か月の期間をもらい、アメリカのフロリダにあるニック・ボロテリーというところに行きました。
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編集部:
ニック・ボロテリー?
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戸田:
はい、アメリカで有名なプロテニスプレーヤーの養成所です。
例えばマリア・シャラポワやアンドレ・アガシとかを輩出しています。
私が行った当時は錦織圭君もいましたよ。
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編集部:
えっ!錦織選手とは世代的には一緒くらいですか?
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戸田:
私の4歳下です。当時はよく一緒に練習していました。
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編集部:
ひぇぇ
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戸田:
たまたまアメリカに行く時期が一緒なだけだったんですけどね。
当時大学一年生で早生まれだったので、私も18歳以下のカテゴリーだったんです。
彼とは18歳以下の同じ大会にでたこともあります。 
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編集部:
なるほど。一緒に練習していた3か月というのはいかがでしたか。
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戸田:
そうですね、まずやっぱり錦織圭君は凄かったですよ。彼がプレーすると大人の対応が変わるんですね。コーチみんなそっちに意識がいくみたいな。
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編集部:
マンガみたいな話、本当にあるんですね…
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戸田:
彼が才能に満ち溢れているので。私としては、それはもう自分の限界を肌で感じましたね。
  でも、アメリカ留学する機会はもう二度ないと思ったので、この先自分がどこまで上を目指せるのか、当時見ていただいたコーチに聞いてみたんですよ。
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編集部:
はい(ゴクリ)。
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戸田:
「君は、日本だったらTOP20までなら頑張れば行けるとは思うけど、その先は保証できない。」と、正直に言ってくださいました。私も「そうなのかもしれないな」と思い、そ こでプロを目指すのはやめまして、大学に戻って部活を4年間やり遂げました。
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編集部:
4年間“部活”として粛々と。
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戸田:
粛々と団体行動とかですね、規律を置いた中で4年間やりきったという感じです。副主将として関東一部リーグ4位に貢献しました。
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編集部:
なるほど。しかし、10年以上テニスをやっていて、アメリカ留学でコーチの言葉でスッと身を引けたのには、なにか今でも後悔があるのでは・・・。
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戸田:
そうですね、これまでの人生で一番の後悔なんですけど、その時“他人と比べてしまった”んですよね。
  錦織圭選手なんて、当時でも世界のトップになると思っていた選手だったので。
ただ、自分も、もしかしたら活躍できた可能性はあったわけですから。人生で一番の後悔だったんです。
その後、会社を辞めて起業しましたけど、人生でもう後悔したくないというのがありまして、そういう点では今にはつながってるなと思います。
やっぱり、自分が弱かったんだと思います。当時18歳で自分に自信が持ち切れなかったんです。
親にも苦労をかけてこれ以上負担をかけるのもなっていうのも理由付けのなかにはありますね。
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編集部:
プロを目指していた中で大きな挫折を味わったと…そしたら日本に戻ってきた反動もあったんじゃないですか。
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戸田:
そうですね…もちろんテニスの練習はしていましたけど、やっぱり遊んでましたね(笑)
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編集部:
ははは(笑)
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編集部:
あらためて、錦織選手のエピソードがあったら教えてください
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戸田:
最初、遠目で見た時に、ウォーミングアップで凄いうまいやついるなって思っていたら、それが錦織君でした。
サッカーでいうとこのネイマールやメッシの、ウォーミングアップを見ているような感覚ですね。
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編集部:
もう、基礎的なボールコントロールのレベルが違うってことなんですかね…
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戸田:
ええ、もうありえないってレベルでした。 
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編集部:
彼も一応留学組だと聞きましたが、
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戸田:
そうですね、ほかにも僕より年下で、プロテニスプレイヤーになることを応援するファンドを通じて派遣されてきた各世代のチャンピオン達もいました。
僕は自費でしたけど。
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編集部:
お金を出してもらえる特待生もいたんですね。
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戸田:
ええ。けれどそんな彼らも錦織選手にはショックを受けていました。
あと、彼は14歳の時から自分主導のテニスができていたので、ちょっとほんと凄いなと当時は思いました。
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編集部:
なるほど。あまりこういう話は聞けないから貴重だなぁ。
プロテニスプレイヤーを目指した経緯がよくわかりました。ありがとうございます。

為替マーケットとの出会い

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編集部:
なぜ金融機関に就職を決めたのでしょうか。
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戸田:
18歳で日本に帰ってきて、社会人2.3年くらいはほんとに脱力状態だったんですよ。
プロテニスプレーヤーを目指していたのに、なれなかった。
自分の中で一番やさぐれてた時期だったんです。
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編集部:
はい。
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戸田:
就職活動も、周りがやってるからっていうので始めましたね。
いとこが心配してくれて、「100社くらいうけてみたらいいところが見つかるんじゃない」って言ってくれたので、とりあえず100社エントリーしたんですよ。
だけど、脱力状態だったのが出ていたんでしょうね、全然だめでした(笑)
ただ、当時大手邦銀に行った大学の先輩方が「テニスの情熱を仕事にぶつけてみたらって」言ってくださって、話を聞いているうちに銀行の仕事も面白そうだなって思うようになりました。
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編集部:
なるほど。
その後、その先輩の銀行に入行され、営業職として配属に?
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戸田:
そうですね。
都内の麹町法人営業部と言う、上智大学の目の前の営業部に配属になりました。
大手銀行だからか、研修が手厚くて、最初半年は新人研修受けて、そのあと私が配属になった支店が外国業務を扱うお客様も多かったので、外為研修も半年。結局一年くらいは研修していましたね(笑)
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編集部:
そうなんですね。
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戸田:
そのあと一年間くらい営業やらせていただいたんですけど、成績はパっとせず、入社3年目の途中で市場部門、いわゆるディーリングルームへ配属になりました。
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編集部:
きっかけがあったのでしょうか。
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戸田:
もともと営業の時にディーリングルームへ行きたと上司に伝えていまして。
どうしてかというと、当時の私はペーペーの平社員で、ご担当先として良い案件を渡してもらえなかったんですよ。そのなかで成果をあげろと言われても難しいなぁと、新人ながらに思いました。その点、ディーリングなら、資金の増減やその増加割合を評価されると思ったので、テニスと同じで成果が見えやすい世界なのではないかと感じました。事務所の上司が以前ディーリングにいた人で。その口添えもあったんだと思います。
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編集部:
なるほど、ということはディーリングルームの業務自体はぼんやりとしたものだったんですか?
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戸田:
ぼんやりしていましたね~(笑)なにか、売ったり買ったりするところなのかなみたいな(笑)
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編集部:
あはは(笑)
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戸田:
今考えると、なにも知らなかったんですよ。スポットってなんだろう、みたいな(笑)
あと当時上司の方と麻雀をやっていて、上司からも遠慮なくあがるから「お前ディーリング向いてるよ」って口添えもあった気がします。(笑)
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編集部:
なんでしょう、某議員の方も似たような話をされていたような…(笑)

「FXと麻雀の共通点はマネジメント」今井雅人 特別インタビュー(前編)
https://media.gaitame.com/entry/2019/08/14/201453

 

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戸田:
最初下手くそなのは当たり前です。ただ自分と向き合って努力していくと、次第に上手くなっていくんですよね。
テニスは10年やると一人前だって言われているスポーツなんですけど、成果が上がっていく中で、地道にでも続ける大切さを実感しました。
これは今にも活きていますね。
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編集部:
それで外為業務に携わることになり、あらゆる業務をされていたようですが、
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戸田:
とにかくたくさん経験をしたくて、様々な仕事をやらせていただきました。
外為部門に移ったら、また1年くらい新人研修があるんです。スポットとかフォワードとか。日常業務のお手伝い、仲値決定、あとは銀行なので空港の両替とか、まぁこれは為替レートを発行するだけなんですけど。そういうのをやらせていただいたりしながらの研修でした。

そして2010年くらいですかね、システムトレードの部署に行きました。
当時はシステムトレードって社内的には地位が低かったんですよ。業務インパクトも少ないですし。
まだまだベテランディーラーが売ったり買ったりの世界だったので。どちらかというと、若手に経験を積ませるところみたいな。

ただそこから3年くらいで一気にシステムトレードの部署が評価されるようになりました。
一番は日本の個人投資家「ミセスワタナベ」がたくさんFXをするようになった影響で銀行の取引高も凄い上がったんです。個人の方からくるフローってやっぱり大きいので。
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編集部:
2010年だとFXの取引環境が改善して、スマートフォンからの取引も徐々に増えてきたころではないでしょうか。
当時はレバレッジもまだ50倍などの時代だったので、FX市場が取引量を伴って大きくなってきた時代だったかと思います。
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戸田:
私も、矢野経済研究所の法人向けに作られたFX業界図鑑を読んだりして勉強していましたね。
あとは自社のデータを調べてミセスワタナベレポートなんて作って上司に見せていたりしていましたね。
そこで、頑張りが評価され、当時王道だったボードディーラーに行くんです。
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編集部:
すごい出世ですね
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戸田:
ひとり先輩がいたんですけど、彼が当時ドル/円をやっていたので私は欧州通貨や、豪ドルなどを担当していました。
彼がいないときは私がドル円を担当していましたね。
あとは比較的若かったので夜勤も担当しました。
夜10時に会社に行って、お客さまの注文と上司の注文を見て取引していくっていうことです。 ただ・・・。
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編集部:
ただ、なんでしょうか。
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戸田:
その当時は、すごく疲れがたまってきていました。
仕事とはいえ、動かす金額もドルで○○○ミリオン(情報非開示)とか。ここまで大きいと、インターバンクで売るのも、けっこうしんどいんですよ。
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編集部:
詳しく教えてください。
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戸田:
当時2010~11年は、ドル円が75円とかでしたよね。 
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編集部:
民主党政権でドル円がどんどん下がっていた時ですね。
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戸田:
ちょうどドル/円が史上最安値つけとき、私はディーリングルームにいました。
それでそこから、100円に向けてどんどん上がっていくんです。
で、私が勤めていた銀行は、当時は大きくポジションを持つ傾向がありました。
外資系さんとかよりも全然多く持つんです。インターバンクでも、日本にいる外資系って本社の支店的な役割ですから、それほどたくさんロットがあるわけじゃないんですよ。
邦銀メガの中では一番取引するのが私が勤めていた銀行だったんですよ。野武士集団なんか当時言われたりして(笑)
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編集部:
あはは(笑)
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戸田:
みんな、たくさん注文するし、私、さばくのに疲れてしまいまして・・・。
当時、みんなでドル大量のロング(情報非開示)みたいな時があって、相場が1~2円下がってきちゃうと、じゃあロットを落とそうかということになって、インターバンクで売ってくんですけど、極めて巨大なポジションなので、売ったらまた1円くらい下がっちゃうんですよ。
そんな感じで、自分がマーケットを作っているんだっていう自負、強い気持ちはもちろんありましたが、一方で神経質になってしまうこともありました。
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編集部:
大変そうですね…。
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戸田:
あと、ドラマの半沢直樹じゃないですけど、メガバンクという大きな組織ですので、社内での調整だったり、お互いがお互いを過度に尊重し合うとか。
そういうものの余波が、ディーリングルームで一生懸命勝負してるところに、及んでくることもありました・・・。
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編集部:
いまでいう、忖度案件みたいな。
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戸田:
そうです。
私は、まだそれほど相場を知らない方だったんですけど、ボードディーラーでもあるので、さばく金額はめちゃめちゃ大きかった。それから、ブローカーさんや証券会社さんからお食事の誘いをうけることもありました。
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編集部:
えっと、どういうことでしょうか?
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戸田:
私は、どこのブローカーさんと取引してもいいわけじゃないですか。
例えば「うち、取引量が少なくないですか?戸田さん」と言われるんですよ。
もちろんお誘いは基本的にお断りしていましたが、聞かれるだけでも疲れるものです。
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編集部:
うわあ
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戸田:
もう、そういうので疲れてしまって。
なんで頑張って相場で取引してるんだろうって思っちゃったりして。
それでもうディーリングルーム抜けさせてくださいっていう話を上司にしましたね。
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編集部:
戸田さん、真面目なんですね・・・
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戸田:
もちろん、銀行やお取引先はここで述べたような方々だけではありません。
朝から晩まで相場と対峙し続け、毎年勝ちを淡々と積み上げる凄腕のディーラー、双方にとって有意義な取引ツールを提供してくれるブローカーさまや証券会社さまもいました。ですから今でも尊敬している方もいますし、つながっている方もたくさんいます。

ただ、言い方は失礼かもしれませんが、中にはくだらない方々もいて、そう言うのに疲れたというのは本音のところです。

中国への道

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戸田:
営業にもどりたいと上司に伝えたら、銀行としても為替の営業をもうちょっと力いれていきたいと思っているから、為替営業をやってくれないかと言われました。

もともとお客さまの役にたちたかったのに、まだ全然役にたってないという思いもあったのと、東京のディーリングルーム離れたいっていうのがありました。

それで、大阪に行って為替営業を始めたって感じです。
赴任してから、京都、北陸地方の担当だったんです。
京都って私が勤めていた銀行はまだ弱かったんです。そんななかで営業の切り口はないかということで自分のボードディーラーの経験を活かして、レポートを持っていくようにしたんですね。
営業の方と。お客様にもお配りするようにしました。そんな感じで2年継続していると、だんだん外為の新規顧客を増やすことができたんです。「良いレポートを持ってきてくださる」というふうになって。
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編集部:
さすがですね。
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戸田:
京都の営業本長が、東京へ私の評価を伝えてくれて、「戸田、次のステップに行くか」ってことで、そこから中国に行くことになるんです。
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編集部:
へぇ~。
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戸田:
そうですね。赴任は決まったんですけど、中国についてはさっぱり知識が無かったです。
京都のお客さんに「戸田君!大連(だいれん)の口座、御行にしといたよ」って言われたんですけど、大連(だいれん)ってどこだよっ、みたいな(笑)
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編集部:
(笑)
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戸田:
もちろん都市名としては聞いたことはあるんですけど、中国の中で、どの辺にあるんだろうなみたいな(笑)。
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編集部:
またいちからのスタートですね。
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戸田:
京都のお客さんって製造業の方多いんですよ。
日本の名だたる企業があって。みなさん中国に行かれているんですよね。
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編集部:
はい。
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戸田:
だから自分のなかで中国という存在が大きくなっていったんですよね。
中国へは、すぐいきました、2016年の5月くらいです。
中国の支店はまだそれほどに大きくなく、ディーリングルームに25人くらい。そのうち為替が15人くらいでディーラー半分、為替の営業半分でしたね。
私は、どっちもやっていました。朝は顧客向けのレポート書いて、そのあとディーリングやって、みたいな。
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編集部:
スーパーハードですね…
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戸田:
あとは一緒に営業行ったりとかやったんですね。

そこで凄い衝撃的な経験がありました。
当時その福建省っていうウーロン茶の産地があるんですね。
福建省に厦門(アモイ)という場所がありまして、そこでブリックス会議をやるっていう話があったんですよ。
「2017年にブリックス会議があるから急速に都市開発が進むぞ」っていう話をきいて「へぇーそうなんだ」とか思って。
一年後また福建省行ったら町が一気に変わってまして。
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編集部:
どんなふうに変わっていたんですか?
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戸田:
まず、民家の外壁が真っ白に変わってまして、ホテルも立て直して、タクシーも全部電気自動車になって、高速道路が舗装されて、メトロは空港から市街地まで直通になって…これが、たった一年で作られたんですよ!?こんなのって、今まででみたことないんですよ。
あとはモバイクってご存知ですか?
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編集部:
いや・・・
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戸田:
バイクがあるんですね、公共サービスバイクの走りみたいな。
そのバイクに携帯かざすとカギが開くみたいな。
それが町中でぐちゃぐちゃに溢れかえる時期とかありまして。
そのあたりも含め、やることなすことハチャメチャだなって(笑)
でも自分の知らない世界をみているみたいで、楽しかったですね。
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編集部:
衝撃体験で、がぜん中国に興味が湧いてきたと。
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戸田:
そうですね、最初は全然興味なかったんですよ中国文化や日本との環境の違いにギャップを感じることもありましたが、福建省の変化を見たときに、もしかして凄い国にいるんじゃないかなと思ったんですね。
日本では、1年で町が都市に変わるなんて、ないですもんね。
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編集部:
発展スピードも、お金の使い方も全然違いますね…
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戸田:
お金の使い方っていうのは半端ないですね。
だって無理やり電気自動車に変えちゃったりするんですよ。
やると決まったら一気に。右向け右の国の強さです。
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編集部:
今回の新型コロナの対策も強烈でしたもんね。
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戸田:
当時私杭州(ハンチョウ)というところにいまして、アリババグループの本社があったりとか、あとは中国で有名な観光地の西湖(セイコ)という古風な街並みがあったりとか、伝統と革新がミックスされてような町にいました。
スーパーに行ったら肉とか魚とか卵とか一切なくて。
武漢で都市封鎖が始まって、食料品が届かなくなってきてたんですね。
これはまずいなっていうので急ぎ日本に帰ってきました。
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編集部:
激動ですね…

PickUp編集部より

戸田さんの経歴だけで紙面が尽きた前編でした。中編では、トレーダーとしての大失敗や、初心者向けのアドバイス、後編では人民元トレードについて伺います。

f:id:gaitamesk:20200214172637p:plain若竹コンサルティング 創業者 戸田裕大氏
2007年、中央大学法学部卒業後、三井住友銀行へ入行。10年間外国為替業務を担当する中で、ボードディーラーとして数十億ドル/日の取引を執行すると共に、日本のグローバル企業300社、在中国のグローバル企業450社の為替リスク管理に対する支援を実施。2019年9月CEIBS(China Europe International Business School)にて経営学修士を取得。現在は若竹コンサルティング代表として、為替市場調査と為替リスク管理に関するコンサルティング業務を提供する傍ら、為替相場講演会に多数登壇している。著書に「米中金融戦争 香港情勢と通貨覇権争いの行方」。
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