「金融の本場ロンドンでの挑戦」松崎 美子氏 FX特別インタビュー(前編)

金融の本場ロンドンでの挑戦

以下の取材記事はトレーダー個人の経験やお考えに基づくものです。その内容について当社が保証するものではありません。実際のお取引については充分内容をご理解の上ご自身の判断にてお取り組みください。

FXブログ「ロンドンFX」やレポート、セミナー、SNSなどで活躍の松崎美子さんにインタビューを行いました。 前編では、幼少期の環境や、英語へのあこがれなど、その後の松崎さんの活躍のベースとなるようなお話を伺いました。お話を伺う中で、トレードで成果を上げるためのポイントが隠されていると感じました。

▼目次

1.学校に行かない生活
2.英語との出会い
3.英語が使える職場としての銀行
4.本場ロンドンのマーケットに挑戦
5.2時間FAXを送る日々 為替レポートのはじまり

学校に行かない生活

編集部
編集部:
本日はよろしくお願いいたします。 早速ですが、松崎さんはどのような幼少期を過ごしたのでしょうか。
松崎美子
松崎:
都内で暮らしていましたが、父親がクレー射撃の選手で、野鳥の狩猟を仕事にしていました。当時のサラリーマンより何十倍もお金は稼いでいましたよ。
編集部
編集部:
ライフル銃で、狩りをするのですね。学校の同級生からは、何というか、どのように見られていたのでしょうか。
松崎美子
松崎:
まあ、いろいろな意味で、一目置かれておりました(笑)。 「松崎を怒らせてはいけない」と・・・。 父は狩猟のほかに、射撃を教える仕事もしていました。ですので、父に教わる大人の人たちと一緒に、私は平日小学校へ行かず、射撃場に行っていました。
編集部
編集部:
学校よりも射撃場、なんですね。なかなか無いですよね・・・
松崎美子
松崎:
ですので、子供のころはサラリーマンの家庭へ憧れましたね。 ただ、大人になった今は父に感謝しています。 小さいころから、ヒトと違うことをする価値を分からせてくれたので、よかったなと。
編集部
編集部:
現在の松崎さんの活躍につながるんですね。
松崎美子
松崎:
ええ。ヒトと同じではいけない、と強く教えられました。 いま、英国に住んでいるということにも通じると思います。 英国ではヒトと違うことは美点です。逆に言えば、ヒトと同じではいけないんですね。 父はそこまで意識して私に接していたかは分かりませんが。 あと、父には「一番になれないなら意味がない」という強い信念がありましたね。
編集部
編集部:
例えば、習い事などですか?
松崎美子
松崎:
はい。ですので、お習字は、「一番になれない」という理由で辞めることになりました。 計算の力はあったので、小学校には行かなくても、そろばん塾はずっと続けていました。
編集部
編集部:
おお。射撃場、そろばん塾、小学校、という序列でしょうか・・・。
松崎美子
松崎:
そろばんの「一番」ってなんだよ、という話でもありますけど、小学4年生でそろばん塾の課程は一通り卒業していました。 小学生時代を振り返ると、算数のほかに、音楽は得意で、あと地図は良く見ていたので地理はわかりました。それ以外の教科はパッとしませんでしたね。 ちなみに、小学6年生の時、東京都の学生が受けるIQテストがありまして、私、都内で一番だったんです。
編集部
編集部:
えっ、すごいじゃないですか
松崎美子
松崎:
ありがとうございます。それで、両親が学校に呼ばれまして、「お宅の娘さん、地頭が良いのに、どうして勉強ができないんですか?」って先生が仰いました。
編集部
編集部:
先生にしたら、ポテンシャルが高いのに、もったいないという事ですもんね。
松崎美子
松崎:
そうだと思います。だた、父は学業にはそれほど興味がなかったので、「余計なことを言わないでください」と(笑)。

英語との出会い

編集部
編集部:
そんな子供のころの松崎さんはどのようにして英語に目覚めたのでしょうか。
松崎美子
松崎:
はい。ある日家の近所に、商社の駐在員としてアメリカ人の家族が引っ越してきたんです。 私にすれば、英国とアメリカの違いも分からないような状態でしたが。 会うと「Hi!」と英語であいさつをしてくれるくらいのお付き合いだったんですが、外国人を意識し、海外に興味を持ったのが小学校の高学年でした。 中学に入ると、英語が楽しくてしょうがなく、アメリカ人の同世代の方と文通を始めました。今でも交流があります。
編集部
編集部:
積極的に英語を吸収しはじめたんですね。
松崎美子
松崎:
ええ。なので、次第に「20歳までに一度は外国に行きたい」と思うようになりました。 まわりに同じような考えをする同級生は少なくて、変わっている部類でしたね。
編集部
編集部:
それで、すぐ外国には行けたんですか?
松崎美子
松崎:
いいえ。 父が厳しくて、外国どころか、高校も歩いて行けるところしか受験できないくらいでした。アルバイトも禁止ですし、ボーイフレンドも作れません。 家に友達が来るのはいいけど、ひとの家に行っちゃいけない、などなど。
編集部
編集部:
典型的な箱入り娘ですね。お父さんのすごい抑圧・・・
松崎美子
松崎:
エピソードとしては、当時、片思いしていた方がスーパーマーケットでアルバイトをしていまして。 同じスーパーでアルバイトをしていいか、父に言ったんですね。
編集部
編集部:
はい。
松崎美子
松崎:
父は「アルバイトをして、どれくらいのバイト代が入るんだ」と聞くものですから「月に5万円くらい」と答えたら、その場で、机の上に50万円をバンと出されて、「これでおまえはアルバイトなんかに行かなくていい!」と・・・。
編集部
編集部:
ま、マンガみたいな話ですね・・・。
松崎美子
松崎:
こんな感じで、育てられ方が破天荒ですから、周りとズレているという想いがありました。
編集部
編集部:
そんな状況なら、外国に行くなんて話は難しそうですね。
松崎美子
松崎:
そうなんです。そもそも、父は志願して戦争に従軍したくらいですので、外国に対して敵対心がありました。「日本が戦争で負けた国へ行くなんて」という感じです。 ですので、留学は絶対ダメ、でしたね。 実際に留学ができたのは、両親が別れてからでした。
編集部
編集部:
ここまでお話を伺う中で、普通とは違う環境、抑圧、それに対する反発としての英語への憧れ、という印象を受けました。
松崎美子
松崎:
普通への憧れは、確かにありました。専業主婦に、あこがれたんですよ(遠い目)。

英語が使える職場としての銀行

編集部
編集部:
その後、留学先のカナダで徹底的に英語を学ぶ日々を過ごし、そんな中お母様が体調不良となったため、急きょ帰国をされた、と。
松崎美子
松崎:
はい。日本に戻ることになったのですが、せっかく上達した英語ですので、英語力を活用した仕事をしたいと思いました。当時は、銀行ぐらいしか英語を活用できる職場がなかったんです。
編集部
編集部:
目的は、やはり英語なんですね。
松崎美子
松崎:
ええ。それで入行した外資系の銀行では、輸出入の書類の内容を確認する仕事をしました。商社の巨額な決済に関わる大事な確認業務でしたね。 年末になり、銀行が主催するクリスマスパーティーがありました。その時、同じ銀行のディーリング部門のイギリス人と話して、トレーディングの仕事が面白そうだと思いましたので「私もやりたい」と言ったところ「ああ、ディーリングは男の仕事だから」と言われまして。
編集部
編集部:
おっ。それで、どうされたんですか?
松崎美子
松崎:
がぜん火が付きまして、すぐにその銀行を辞めて、ディーリングのできる外資系の銀行に移りました。
編集部
編集部:
おおお。すごい行動力!
松崎美子
松崎:
正直、ディーリングの仕事内容を聞く限り、「それくらいの事だったら、出来るかな。」と感じました。まあ、ダメなら辞めればいいや、くらいの気持ちで。 実際、移った先の外銀では、なんとかなったんですけどね。日本で英語が話せるというだけで有利だったんです。
編集部
編集部:
ナイスチャレンジ、素晴らしいですね。 とはいえ、ディーリング経験のない状態で、大変だったんではないですか?
松崎美子
松崎:
ええ。ですので、はじめは丁稚です。先輩ディーラーの朝ご飯を揃えるところから始まりました。おにぎりを買ってきて、机を拭いて、全員のコーヒーの好みを覚えたり。 ディーリングルームでは、たとえ年下でも1日でもディーリングを早く始めた方は、神様なんです。体育会系の世界でしたね。 実際の業務は、ディーラーが電話口などで熱くなってトレードしますので、そんな喧騒の中で各ディーラーが何をどれくらい買ったか、売ったかをすべて瞬間的に把握して、記録する仕事をしました。 これ、できない方が結構いるんですよ。
編集部
編集部:
・・・、私、できないと思います。
松崎美子
松崎:
ディーラーごとに、ポジションがカバーできているのか分からないといけませんのでね。
編集部
編集部:
でも、そんな仕事ばかりでつまらなくて腐ったりしなかったんですか?
松崎美子
松崎:
ぜーんぜん。まず、ディーリングルームに入れたのが嬉しかったです。 あと、やればやるほど学びが多くて、すごく楽しかったです。 朝出勤し、夜帰るまで、毎日違うというのもよかったですね。ルーチンワークだと、例えば14時にはこんなことをしているだろう、など想像がついちゃいますけどディーリングルームは、その日に入ってくる情報によってやることが変わっていくので、刺激がありました。 そろばんを習得していたので数字にも強いですし、英語も活かせる。自分にピッタリの仕事だと思いました。
編集部
編集部:
そろばん同様、仕事の中でたくさん吸収をされていったんですね。
松崎美子
松崎:
はい。初志貫徹ということで、これはいけそうだ、と思うものにとことん頑張りました。 やはり「一番になれるか」が重要ですので、FXですと、まずテクニカル分析を極めることは早々に諦めました。 もちろん、基本的なチャートの形状などは理解していますが、テクニカル分析を極めて、それのみでトレード判断を行おうとは思いませんでした。 一方で、ファンダメンタルズ分析は銀行で徹底的に教育されたこともあり、これで行こうと感じました。 毎日の経済指標や、あとは要人発言がマーケットに影響を及ぼすのを感じて、その辺りを調べれば調べるほど詳しくなって、同時に楽しくなりました。
編集部
編集部:
日本時間では、要人発言で相場が動くことはあまりありませんね。
松崎美子
松崎:
欧州では要人発言は大事です。ですから日本のディーリングルームと、ロンドンのディーリングルームでは、全然別のことを教わることになりました。 個人として独立した今、両方で勉強できたのは、自分のトレードの大きな糧になりました。 この時はまだロンドンに行けるとは知らないのですが、アシスタントのときから、おぼろげながら本場ロンドンで働いてみたいな、と思っていました。

本場ロンドンのマーケットに挑戦

編集部
編集部:
そして、結婚を機会に英国に行くことになった、と。
松崎美子
松崎:
アシスタントだったのですが、東京で勤めていた銀行が、英国に行くなら、ロンドン支店で働けるよう手配できる、と言ってくれたんです。有難いお話でした。
編集部
編集部:
それは良かったですね。
松崎美子
松崎:
わたし、断りまして。
編集部
編集部:
え?
松崎美子
松崎:
やはりロンドンに行くなら、英国の銀行に入りたい、と思い、日本で勤めていたスイス系の外銀は辞めてしまいました。
編集部
編集部:
あらら・・・。
松崎美子
松崎:
英国に渡り、ビザの関係で1年間は職に就けず、その後リクルート業者に英国の銀行への就職を依頼しました。 リクルート業者からは、前例がない、と言われ8カ月待ちましたが、1社、採用面接を受けることができました。
編集部
編集部:
ビザの関係もありますが、一年半以上待っているって、期間が長いですし、そもそも銀行に就職できるかも分からない中で、よく我慢ができるなあと思いました。
松崎美子
松崎:
わたしは、欲しいものは絶対に手に入れるんです。わき目を振らず、というか。 逆にいうと、私が欲しいと思うものは、そんなに出てこないんです。ですから、得るまで徹底的にやります。
編集部
編集部:
なるほど・・・。それで、銀行の面接に行ったんですね?
松崎美子
松崎:
はい。採用担当の方も、日本人を採ったことがないので通常の採用テストだけでいいか困惑されていました。 結果、採用テストはすべて合格しました。数学などは満点で、日本の学校教育の質の高さを感じたところでもあります。 英語力も、担当の方と普通に話ができていましたので、大丈夫だろうということで、晴れてディーリングルームに通してもらいました。
編集部
編集部:
素晴らしいですね。すべてのハードルをクリアして、まさに前例のないことを成し遂げられました。 これから金融の本場ロンドンでバリバリ働くぞ、と。
松崎美子
松崎:
すごく、うれしかったです。 ただ、実際に仕事を始めて、あ然としました。
編集部
編集部:
どのあたりがでしょうか。
松崎美子
松崎:
まずは組織の規模の大きさです。東京の外銀では支店だったこともあり30人くらいの社員でしたが、新しい銀行は200名を超えていました。 その中で、女性が私を入れても5人。 分かってはいたのですが、目の当たりにしたとき、改めてやっていけるのか不安に感じました。
編集部
編集部:
ちなみに、女性社員はインテリな感じだったんですか?
松崎美子
松崎:
いえ。見た目は、普通のおばさまばかりでしたよ。 特に気が強いわけでもなく。ただ、頭の回転は、めちゃくちゃ速かったです。 ドイツ人の方は、ドイツの輸出企業からの大きな注文があったので活躍されていました。 おなじころ、日本のセイホ(生保)が存在感を増していて、ロンドンでも注目をされていました。 そのうち私が日本人ということが広まり、それからはいろいろと問い合わせが来ました。
編集部
編集部:
日本のバブル期には「ザ・セイホ」として日本の生命保険会社の運用資金が注目されていましたね。
松崎美子
松崎:
私がロンドンで働き始めてから、他のロンドンの銀行も、日本人の女性を採用し始めました。横並びになった後は、銀行間でセイホからの注文の取り合いです。 当時のセイホはヘッジファンドより大きな注文を出すので少しでも多く注文が欲しかったのです。
編集部
編集部:
そうなんですね。実際、どのように日本のお客さんに営業をかけたのでしょうか。
松崎美子
松崎:
年に2回、日本に帰りまして、日本の銀行、生保、年金基金、ゆうちょ、GPIFなどに赴きプレゼンをしていました。中には「男の人を出して」というところもありました。
編集部
編集部:
有力な金融機関などと、関係を築いていったんですね。その時の何かエピソードなどありますか?
松崎美子
松崎:
ロンドンに戻って、開拓した先のお客様から電話で注文を受けるときでしょうか。 当時、携帯電話はまだ普及していませんでした。一番困ったのは、生保で寮生活している方が、寮に帰る前に、線路の真横にある公衆電話からロンドンの私に電話をかけてきて注文を出すような時です。
編集部
編集部:
線路わきの公衆電話・・・。イヤな予感・・・。
松崎美子
松崎:
キンコンカンコン、踏切や電車の走る轟音で電話の声が聞き取りづらい中、「マルク円で、300本」とおっしゃる。まだユーロ誕生前なので、ドイツマルクが主要通貨でした。 その後の、大事な、売りなのか買いなのか、ユアーズなのかマインなのか、言い終わるか否かのところで踏切のキンコンが鳴っちゃうわけです。
編集部
編集部:
(笑)。
松崎美子
松崎:
向こうは結構焦っているので、ワーッと言ってから電話を切っちゃう。 私は、どっちだろうなー、この相場なら、売りだなー、最後「あーっ」って言っていたから、ユアーズなのかなー、もし逆だったらわたしクビだなーなどと思いながら、やっていました。
編集部
編集部:
ハラハラしますね。
松崎美子
松崎:
他のエピソードとしては、そのころから日本の銀行向けに24時間デスクというのをはじめていました。 大手邦銀の方が、100本くらいのポジションを持ちながら、夕方になりカラオケに行くんですね。 日本の夕方は、ロンドンの朝ですが、電話が鳴って私が取ると、「美子さん、まずは一曲歌おうよ」と始まるわけです。 大事なお客さんですし、日本へ出張した時は飲み仲間でもありますので、仕方なくデュエットを歌うわけです。電話越しに。 もちろんロンドンの同僚はびっくりしますよね。で、歌い終わるとその方は「じゃあ、ドル円100本」など注文を言ってくるので、私はそれをフロアに伝えるために大きな声を出す。 歌っていたかと思えば、いきなり注文を言い出すので、どういうことだと見られました。
編集部
編集部:
(笑)。
松崎美子
松崎:
そのあと、ロンドンの同僚に、日本のカラオケ文化について説明して、わかってもらいました。 とはいえ、ジョージソロスから注文が来るようなディーリングルームですので、歌がうるさいと叱られました。
編集部
編集部:
想像するだけで面白い・・・。電子取引になる前の、ヒトの声でオーダーをとっていた時代ならではなんですね。
松崎美子
松崎:
ええ。人間味があって、私は好きでしたよ。その、私にデュエットを強いた人は、いまは大手邦銀で重要なポストについていらっしゃいます。 わたしは、彼の弱いところ、全部握っていますけど(笑)。まあ、そういう時代でしたね。
編集部
編集部:
あと、他にはどうでしょうか。
松崎美子
松崎:
当時、大蔵省や日銀からもホットラインがあり、私が担当していました。ホットラインが鳴り、私が席を外していると同僚が「ヨシコ!モシモシ!」と言いながら私を探しに来るということもありました。
編集部
編集部:
日本からの大事な電話が来たことを「モシモシ」と言っていたんですね。面白い。
松崎美子
松崎:
笑い話はこれくらいにして、当時のマーケットプレイヤーの話をしますね。 当時から日本は金融緩和でゼロ金利だったので、例えばアメリカの、カリフォルニア州職員退職年金基金であるカルパースなんかは日本の情報をとにかく欲しがっていました。カルパースはマーケットでは有名なビッグプレイヤーなのですが、私が日本出張から戻った直後に電話がかかってきて、どんな情報でもよいから少しでも多く教えてほしい、と言われました。 その、日本の現状を伝える出張レポートは、外国人には非常に重宝がられました。 例えば信託銀行は、投資比率が決まっていましたから、それが今後どう変化していくかに、例えば外債を増やすのか、増やす場合は、アメリカなのか欧州なのか、という情報です。このあたりの感触をつかむには日本へ行き直接担当者へヒアリングすることが重要でした。帰りの飛行機の中で一気に書き上げて、それを上司が要点だけをかいつまんで、お客様へ配るんです。それを読んだ方のうち、カルパースのような大口の方と電話でさらに話をいていました。
編集部
編集部:
日本が注目されていたんですね。
松崎美子
松崎:
巨額な資産を運用するGPIFや生保が動く前に、先取りして動きたいヘッジファンドなどが情報を求めていましたね。 あと、生保からまとまった注文が銀行に入ると、相場が動くので、どこの銀行がカバーしたから、おそらくどこどこの生保が注文を出したのだろう、など読みあいをしていましたね。

2時間FAXを送る日々 為替レポートのはじまり

編集部
編集部:
先ほど出張レポートというお話がありましたが、市況や相場見通しはいつごろから書いていたんですか?
松崎美子
松崎:
ある取引先のビルで雨漏りがあったとかで、相場が見られないからレポートしてよ、と言われて、マルク/円のレポートを書きました。 FAXで送っていましたが、次第にレポートが噂になり、我も我もと受信希望者が増えました。 結局、私はレポートを書いたらFAXを2時間かけて送ることになりました。今なら電子メールでボタンを一押しですけど。最後は、お客様の中で勝手に回してくれ、と言いました。
編集部
編集部:
手差しで2時間・・・。その、レポート送付先も含まれるかもしれませんが、当時はどのようなプレイヤーがいたのでしょうか。
松崎美子
松崎:
先ほど申し上げた年金を運用するカルパース、ヘッジファンドのソロスさんもヤンチャに活躍していました。あとは中近東の政府系のファンドですね。 中近東のファンドは、注文の額が大きすぎて、捌ききれないと私が言うと「一週間かけていいから、やってくれ」と言われました。 とはいえ、私が勤めていた銀行だけでドル/円を買い続けていると注目されてしまうので、他の大手外銀へ連絡し、代わりに買ってもらうようにしました。
編集部
編集部:
顧客からの注文を隠すのが大変ですね。
松崎美子
松崎:
ええ。そんな時に、日本のお客さんから「ドル/円、下がると思っているんだよね」など電話があるんです。こちらは何も言えないのですが、「ちょっと、今週は、どうなんですかねー」など、はぐらかしていました。察してくれよ、と思いながら・・・。
編集部
編集部:
守秘義務があるでしょうし、難しいところですね。そうやって、銀行を分散して注文を通すこともあるんですね。
松崎美子
松崎:
今も、なぜか下抜けない、上抜けない水準ってたまにありますけど、私たちが知らない注文が入っているのだと考えています。

PickUp編集部より

稀有な家庭環境から外銀ディーラーになるまでのお話を伺った前編でしたが、中編では松崎さんの大失敗談を伺っています。マーケットのベテランであっても気を付けなければいけない投資の落とし穴とは!?

【先達に学べ!トップトレーダーが編集部にだけ語った「極意」とは? インタビュー記事まとめ】

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松崎 美子(まつざき・よしこ)氏
1988年渡英、ロンドンを拠点にスイス銀行・バークレイズ銀行・メリルリンチで外国為替トレイダーとセールスを担当。現在は個人投資家として為替と株式指数を取引。ブログやセミナーを通して、ロンドン直送の情報を発信中。

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